そもそも「バイリンガル」って何ですか??
昨今の日本における英語教育熱の高まりから、
幼少期からの英語教育に力を入れようとしている親御さんはどんどん増えてきています。
その中には、子供を「バイリンガル」にさせよう!と意気込む方も多いです。
しかし、そこで
「ちょっと待った!そもそも「バイリンガル」とは何か説明できますか?」
と言いたいです。
日本では、「バイリンガル=二か国語がしゃべれる」くらいの漠然とした理解で、
バイリンガル教育をしようとしている方が多いです。
もちろん、幼少期から英語教育に力を入れることはとても良いことです。
しかし、その程度の理解でバイリンガル教育に取り組んでしまうと、
バイリンガル教育の「マイナス面」が強く出てしまう可能性があります。
そこでこの記事では、
バイリンガル教育に詳しくなってもらい間違った方法を取らないようにする事を目的に、
バイリンガル教育に関する研究を踏まえながら、
バイリンガルの分類の方法を紹介し、
その分類の知識から見えてくる目指すべきバイリンガル像と、避けるべきバイリンガル像とを紹介していきます。
それでは早速行きましょう!♪
この記事の内容
バイリンガルの定義とは?
まず初めに、「バイリンガル」とは一体なにを指す言葉なのでしょうか。
実は、「バイリンガル」の定義を1つに絞ることはかなり難しく、
ペアズモアという研究者は、その著書の中で35のバイリンガルの型を挙げている他、
マキーという研究者は、90にもなるバイリンガル教育の型を挙げています。
(Beardsmore, 1986; Mackey, 1972)
さらに、最近ではバイリンガルはもはや当たり前で、
三か国語を使う「トライリンガル」、四か国語を使う「クワトリンガル」が
世界中でどんどん増えてきています。
こうした状況もあって、「言語を使える」とはそもそもどういう状態なのか、
なにをもって、「バイリンガル」になるのか、ということがより一層不明確になってきているのです。
そもそも言語を「使える」とは?どこからが「バイリンガル?」
このように「バイリンガル」という言葉は、
その定義が曖昧なままなんとなく使われているというのが現状なのです。
「バイリンガル」というと、「二か国語が使える人」という漠然としたイメージをお持ちかと思いますが、
この「二か国語が使える」という状況も、かなり範囲のあることです。
つまり「二か国語が使える」といっても人によって状況は様々で、
- 聞くことはどちらの言葉でもできるが、話すのは1つの言葉
- 聞く、話すは両方でできるが読み書きは1つの言葉
- 日常会話はどちらの言葉でもできるが、考えをまとめて人前で発表するとなると1つの言葉
- 2つの言葉で会話はできるが思考するとなるとどちらも不十分
- 両方使えることは使えるが混ぜないと話せない
といったように、かなりのバラつきがあります。
そして、日本人に多いのは、上記のどれでもなく、
「読みは2つの言葉で出来るけど、話す、書く、聞くとなると1つの言葉のみ」
ではないでしょうか。こうした日本人の状況では、残念ながら、バイリンガルとは言えないのです。
バイリンガルの分類
ここまで述べてきたように、「バイリンガル」といっても人によってバラつきは多く、また定義の在り方も多様です。
こうした知識を知らないまま、漠然とした「バイリンガル像」をもったまま、
独自のバイリンガル教育に取り組んでしまっていると、
これから述べるように、「好ましくないバイリンガル」になってしまう可能性があります。
そこでここからは、バイリンガル教育の研究を踏まえながら、
「バイリンガル」をつの観点から分類して紹介します。
2言語の到達度から見たバイリンガル
2つの言語の到達度から見ると、バイリンガルは大きく3つに分類することができます。
【到達度で分類するバイリンガル】
① 2言語が年齢相応レベルにまで発達している
⇒「バランス・バイリンガル」
②1つの言語は年齢相応レベルだが、もう一つは劣っている
⇒「ドミナント(偏重)・バイリンガル」
③どちらの言葉も年齢相応ではなく劣っている
⇒「ダブル・リミテッド・バイリンガル」
この分類で見ると、目指すべきバイリンガル像は「バランス・バイリンガル」であり、避けるべきは「ダブル・リミテッド・バイリンガル」です。
巷で聞くような、バイリンガル教育のデメリットとは、
まさにこの「ダブル・リミテッド・バイリンガル」になってしまう可能性のことを言っていたのです。
4技能から見たバイリンガル
次は、言語の使用に関する4つの技能、
つまり「聞く」「話す」「読む」「書く」の4技能で分類するバイリンガルです。
【4技能で分類するバイリンガル】
①「聞く」ことは2つの言葉でできるが、その他は1つの言葉でしかできない。
⇒「聴解型バイリンガル」
②「聞く」「話す」は2つの言葉でできるが、「読み書き」は1つの言葉でしかできない。
⇒「会話型バイリンガル」
③「聞く」「話す」「読む」「書く」の4技能が2つの言葉でできる。
⇒「読み書き型バイリンガル」or「バイリテラル」
この分類で見ると、目指すべきはもちろん3つ目の「読み書き型バイリンガル(バイリテラル)」です。
そして、成長過程として、
①「聴解型バイリンガル」⇒②「会話型バイリンガル」⇒③「読み書き型バイリンガル(バイリテラル)」
となっていくことがお分かりいただけるかと思います。
【miniコラム① ~英語を「読み書き」できる日本人はバイリンガル?~】
ここで、日本人にありがちな「読み書き」は2つの言葉でできるが、
「聞く・話す」は1つの言葉(つまり日本語)でしかできない場合はどうなるのか?
と思われたかもしれませんが、
残念ながら「聞く・話す」が出来ないと、
バイリンガルとは呼べないのです。
そのため、そもそもバイリンガルの分類として、
「読み書き」が2言語で出来るだけでは分類の対象になっていないようです。
言語の発達過程による分類
次に、
英語の発達過程に基づいてバイリンガルを分類するとこのようになります。
【言語の発達過程で分類するバイリンガル】
①日常生活を通じて同時に2つの言葉を習得する場合
⇒「同時発達バイリンガル」
②まず1つの言葉が発達し、それ加わる形で2つ目が発達する場合
⇒「継起発達バイリンガル」
①の「同時発達バイリンガル」は例えば、お父さんとお母さんが別々の言葉を話す家庭で育つ子供などが当てはまります。
そして②の「継起発達バイリンガル」は、例えば親の転勤などで母国を離れて途中から外国語圏で育った場合などが当てはまります。
文化習得の有無による分類
次は、文化習得の有無による分類です。
言語が使いこなせても、その言語の文化までを習得しているかどうかで分類が異なるのです。
【文化習得の有無で分類するバイリンガル】
①2つの言葉を使えても、文化習得は1つだけ
⇒「モノカルチュラル」
②2つの言葉を使えて、文化習得も2つ
⇒「バイカルチュラル」
③2つの言葉を使えても、どの文化にも属さない
⇒「デカルチュラル」
この分類でみると、明らかに避けるべきなのは「デカルチュラル」です。
日本での極端な英語教育は、この「デカルチュラル」になる可能性があり、
そうした観点から早期の英語教育の否定的な意見が出てきている事が多いですね。
一方で、日本にいて、英語圏の文化まで習得するのはむずかしいでしょう。
そのため、現実問題としては、
日本でのバイリンガル教育で目指すべきは②の「モノカルチュラル」型のバイリンガルになるでしょう。
【miniコラム② ~何をもって「文化習得」は評価されるの?~】
ここでいう「文化習得」の度合とは、
①理解・認知面(頭で理解できる事)
②行動面(無意識に期待される振る舞いができる事)
③心情面(感情の動き)
の各面からどの程度その文化に根付けているかで、その習熟度合は見られます。
例えば、英語圏から日本に来た帰国子女の子供などで、
日本語は普通に話せるのだけど、どうも日本での生活に馴染めない、
というのはまさに、「日本語は使えるけど、日本文化には属していない」状態です。
また、日本語を話す外国籍の人でも、
私たちが「この人なんだか日本人ぽいな」と感じる場合は、
その人は、日本語が話せるだけでなく、日本文化にも慣れているという事なのです。
母語の社会的地位との関連で見た分類
ここでいう「母語の社会的地位」とは何かというと、
自分の母語が、社会の中でどのくらい重要視されているか
という事です。
例えば、日本において、英語というのは重要と見られているので、
日本における英語の社会的地位は高いです。
一方で、日本において、少数民族の言語というのは、
(一般的に)使えても特に便利というわけでもないし、それによって学業上や仕事上において有利になったりという事もありません。
つまり、そうした少数民族の言語というのは日本において社会的地位が低いとされるのです。
そうした意味での、母語の社会的地位との関連で分類すると以下のようになります。
【母語の社会的地位で分類するバイリンガル】
①母語の上にもう1つ社会的地位の高い言葉が加わり、しかもアイデンティティが崩れない場合
⇒「アディディブ・バイリンガリズム」
②母語の社会的地位が低いため、母語を使うのを避けるようになり、もう一つの社会的地位の高い言葉だけを話すようになる場合
⇒「サブトラクティブ・バイリンガリズム」
日本語は、比較的に社会的地位の高い言葉ですので、
もし日本から英語圏に行ったとしても、特に日本語が使えるという事を、
子供が隠したりはしないでしょう。
しかし、それは一般論であって、
もしたまたま子供が所属したコミュニティにおいて、
日本人というだけで差別されるような場所に入ってしまった場合は、
子供が日本語を話せるという事を隠すようになり、
避けるべき「サブトラクティブ・バイリンガリズム」になってしまう可能性があります。
日本人が目指すべきバイリンガル像とは?
以上の分類の知識を使って、
ランドレイとアラードという研究者は、
これから紹介する3つの要件を満たす2言語使用者こそ、「目指すべきバイリンガルの理想像」としています。(Landry & Allard, 1991)
①両言語が会話力でも読み書きの能力でも高度に発達している「バイリテラル」であり「バランス・バイリンガル」である事。
②両言語の文化に対して前向きな心的態度をとるだけでなく、母語の文化の担い手としてのアイデンティティを持っている「バイカルチュラル」、「アディティブ・バイリンガリズム」である事。
③両言語を、社会的役割や場面による差なく、混合することなく使いこなせる事。
分類の知識から見えてくる「避けるべき」バイリンガルとは?
一方で、「避けるべき」バイリンガルとはどのような状況の事でしょうか。
また、そうした事態にならないためにできる対策としてはどのような事があるのでしょうか。
気を付けるべき「バイリンガル」とは?
この記事で紹介した「バイリンガルの分類知識」を使って説明すると、
避けるべきバイリンガルは以下のようなバイリンガルです。
【避けるべきバイリンガル像とは?】
①両方の言語ともに年齢相応レベルよりも劣ってしまっている「ダブル・リミテッド・バイリンガル」
②文化が混合してしまい、アイデンティティレベルで所属している実感のある文化がなくなってしまった「デカルチュラル」
③母語の使用をはばかるようになり、次第に母語が使えなくなってしまう「サブトラクティブ・バイリンガリズム」
悪い英語教育にならないようにするためには?
以上のような、バイリンガル教育のマイナス面を表出させないためにはどのようなことができるでしょうか。
日本にいながらにして極端な英語着けをしない
世界的に見て、日本ほど母語である日本語だけで満ち溢れている世界は少ないです。
そのため、よっぽどのことがない限り、日本育ちで日本文化が分からなくなるという事はあり得ません。
しかし、極端な例になると話は別で、
親が子供をバイリンガルに育てたいがために、家でも外でも日本語に触れさせないようにして、英語だけで育てるといったことをすると、
確かに英語は話せるようになるかもしれませんが、
・英語も日本語も発達が中途半端
・英語は話せるけど、英語圏の文化が身についているわけではない
・日本語は一応話せるけど、日本の文化が年相応に身についていない
といったように、子供のアイデンティティ面でもかなり不安視されてしまうような状況になりかねません。
そのため、出来る対策としては、
「もちろん英語教育に熱心に取り組むのは良い。しかし、日本人としての年齢相応の発達を妨げない範囲で行うべし。」
という事になるでしょう。
海外で生活するようになるなら、日本語を忘れないようにする。
次に、子供が親の都合で英語圏などの海外で生活をするようになる場合は、
日本語を忘れないようにしましょう。
子供は、家庭環境よりも、友達関係など外の世界との関係に大きな影響を受けます。
そのため、放っておくと英語ばかり使うようになり、
日本語を使わなくなってしまいます。
そうなると、日本人としてのアイデンティティも微妙なことになり、
子供の心理的な影響を考えると良くありません。
そのため、対策としては、
「英語圏で暮らしていても、家庭の中では日本語を使い、また日本文化の事も忘れないように工夫する」
という事を念頭においておくと良いでしょう。
まとめ
以上いかがでしたでしょうか。
これまで漠然とした「バイリンガル像」が分類の知識によって少しははっきりとしたものに変わったでしょうか。
これで、子供への英語教育においても、
どういった方向性で教育を行っていけばいいのかのヒントが得られたのではないでしょうか。
また、巷で聞く「英語教育のマイナス面」に関しても、より理解が深まったことかと思います。
これからの時代、日本語だけでなく英語などの第二言語も使いこなせ、
また、日本文化の継承者としての誇りをもって世界で活躍できるような人材が求められています。
そういった人材に成長するように、幼少期からの英語教育に力を入れられると良いですね♪
最後に
ここまで読み進めてください誠にありがとうございます。
このページの他にも、英語教育に携わる親御さんにとって役に立つようなアイデアやノウハウも多数発信しておりますので、
是非色々と見て行ってくださいね♪